「ぼくはエローでホワイトで、ちょっとブルー」レヴュー

本屋で前から気になっていた本をようやく購入しました。なぜ、気になっていたかというと、本全体が黄色だったからと、その本のがSFかファンタジーか何かだと思い込んでいたからです。

表紙に描かれたいたキツネ顔の少年が描かれていたので中高生を対象とした物語と思い込んでしまったことが不覚でした。

本屋ではそのイエローブックは周りの本よりも高く積まれていました。そこへ行くたびに再び低くなっており、また、高くなるということを繰り返していました。

ということで、その本は売れに売れていたということなのです。

私は、「大人が読む本ではない。」と決めつけていた。しかし、あまりにも売れ続けていいることに気づき、とうとう購入してしまいました。

おもしろかったので、一気に読破しました。やっぱり売れるには訳がありますね。

本の内容を知ると、想像していたものとは違い完璧なノンフィクションでした。

おもしろいだけでなく、自分の人生観を根本から見つめ直させ、深く考えさせるような内容でした。読後は、知的好奇心を大いに満足させてくれます。

このようなことから、この本をもう少し早く購入したらよかったと後悔したのです。

それでは、この素晴らしい本の紹介をしていきましょう。

美しいブライトンの桟橋とホテル(出典;expedia.co.jp)

舞台は、イギリスのブライトン

ブライトンは、イングランド南西部に位置する都市です。ロンドンを約78キロ南下したところにあります。

昔は港町でしたが、現在は、人口は約28万人のリゾート地として発展し続けています。

ブライトンは、観光都市なので、ホテル、レストラン、エンターテイメントなど数多くの施設があります。また、大学を始めとする教育施設も多く、人々の教育に対する意識は高いようです。

そして、LGBTを援助する団体や関連するバーやクラブなども多く、イギリスでは「同性愛の首都」とも言われています。

このブライトンという場所はアメリカと同じか、それ以上に多様性に富んだところのようです。

ブライトンのメインビーチ(出典:tabippo.net)

LGBTQ+の世界

私の中にLGBT+と言えばアメリカという感覚があります。

LGBTQ+とは?

・Lesbian(レズビアン)は女性の同性愛者

・Gay(ゲイ)は男性の同性愛者

・Bisexual(バイセクシュアル)は両性愛者

・Transgender(トランスジェンダー)は出生時の性別と異なる性別で生きていこうとしている人

・Q(クィア・クエスチョニング)は、LGBTに属さない、あるいは迷っていいる人

なのです。

現在、どんな、性であっても、どんな性的な嗜好があっても、差別されることなく、一人の人間としてその人権を保障すべきだとう考え方が世界的に広がっています。

日本と大きく異なるのは、この学校では、だれもが自分の個性を隠すことなく、堂々と生活しているところでしょうか。

本の舞台となる『元底辺中学校』にはLGBTQ+に属する生徒や保護者が多数います。

日本の教育現場も、女子がスカートかパンツかを選択できるようになったり、多目的トイレが設置されたりして、多様性を認め始めてはいますが、世界に比べると、かなり遅れていますよね。

最近、どこかの区議さんが、「同性愛で足立区滅ぶ」という失言で、問題になっていました。

「当事者が不快と思っても別に良い」などと言って謝罪を拒否したと報じられ、非難が殺到しているようです。

ある意味すごいことです。自分の発言は絶対正しいと信じているようです。

このように思想が凝り固まった人は、グローバル社会を生きていくことはできませんね。

その固まった思想をアップデートするには、本書のような内容の書籍をたくさん読んだり、海外へ出かけたりして、世界の現状を知ることをお勧めします。(もう手遅れかもしれませんが・・・)

「ダブル」という言葉を使っていこう

我々日本人が海外から日本に来た人たちを外人と言うことがあります。それは、差別用語になるようです。

来日した、海外の人がその言葉を聞くと自分を阻害されたような気持ちにさせるようです。

また、私たちが日常的に使う「ハーフ」という言葉も差別用語になるようです。

このブライトンでは、「ハーフ」とは言わず「ダブル」と言うそうです。今は、この「ダブル」という言葉がグローバルスタンダードなのかもしれません。

言葉によって差別的であるとかないとかは人の心にあるものなので、時代とともに変化していきます。

言葉を聞いた人の誰もが、不快にならないように、その時代に適した言葉を使っていきたいものです。それが「ダブル」ですね。

格差と学校ランクの関係

このブライトン地区では地域の水泳大会で複数の学校が集まります。しかし、プールでは、はっきりと境界線ができました。

それは、プールの水を挟んで、右側は市立・宗教関係の格式高い中学校の選手や保護者のエリア、そして、こちら側は、貧困家庭、底辺中学校、元底辺中学校のエリアと分かれました。

この異様な状況を、地域の人はこれが当たり前のことだと思っています。しかし、日本から来た筆者のフレディみかこさんは、これはおかしいと思い、憤りを感じます。

以前からある「しきたり」「ならわし」のようなものを当たり前のようにみんなが受け取ってしまっているということはよくあります。

その国で当たり前と思うことでもが、他国の人が見ると非常に差別的な行為だと気づくことがあります。

このことから、イギリスはアメリカ以上に多様性に富み、格差や人種さらには、宗教問題などから差別が存在しているようです。 

世界の格差は?

現在アメリカでは、白人の警察官による黒人への異常な取り締まりをきっかけに、差別に反対する運動が社会問題化しています。

中国もウイグル族やチベットへの弾圧をはじめ、人権を蹂躙するようなことをしています。

このようななか、我々日本人も当たり前と思っていることをもう一度差別ではないのか、または、本当に人権を尊重しているのかなどと考えてみる必要があります。

個性が多様性に満ち、SNSで簡単に個人の主張を発信できる時代になってきた現代にこそ必要な知識を得ることは必須です。

やや毒のある環境が考える子どもを育てる

子どもはいろいろな壁にぶち当たるからこそ大きく成長できるものです。

住んでいる場所や性的嗜好、さらには人種などの問題で会った時には、大人の言葉が子どもの人格形成に重要になります。

自分の頭で考えて問題を解決していく術を身につけていくことでしょう。

しかし、大人が他人を侮辱する態度をとったり、ひとの個性を否定するような言葉を使えば、子どもは、「ブルー」な気持ちになるとともに、同じような大人を再生産することにつながるでしょう。

そのような愚かな大人にならたいために、この本を読んでおきましょう。

終わりに

以上のように、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は、格差・差別・偏見などの諸問題を少年と母親の目線から捉え、グローバルな思考をするきっかけを得ることができます。

そして、読んだ後は「おもしろかった」とつぶやくとともに、自分の人生観が180度変わることでしょう。